<13日目>1989年2月21日(火)
6:30起床。~7:40まできのうの分の日記を書く。今日は少し天気はましそうだ。8時また2Fのバイキングレストランへ朝食を食べに行く。
パンのところはもう人が並んでいて混んでいる。ここでまたトマトジュースが飲めるのだ。私は3皿でソーセージを11本も食べる。超腹いっぱいである。よく食った!
日名子は相変わらずのんびり食っているので私は先に出てバーへ行きマールボロ2個買うがなんと1個300円もする。高い!
10時に外へ出発する。私は日名子に3000円借りているので、まず銀行へ行きchange moneyして返さねばならない。
いったん10月革命50周年広場へ出てナショナルホテルからインツーリスト本社へ行くが銀行が見当たらない。銀行探しに手間取り、インツーリストホテルの周辺をあちこちさまよう。結局私がもう一度ホテルのフロントで聞いたらなんとインツーリストホテルのすぐ隣にあった。ここで1万円両替する。
さて、今日はまずトレチャコフ美術館へ向かうことにする。マルクス大通りを南下しクレムリンの横を通って橋を渡る。この橋からみたクレムリンは最高である。今日クレムリンに行けばよかったと思う。青空こそ見えないが太陽がどこにあるのかわかる。
赤の広場の反対側から見たクレムリンとモスクワ川

もう一つ橋を渡って左へ曲がりトレチャコフ美術館を探すがどうもニェーラボーティェッドらしい。さっきインツーリスト本社ではおじさんは開館していると言っていたが。。。
しかたなく新館へ行こうとするが日名子が断念した。私は美術館とかはあまり興味がないのでまあどうでもいいのだが。。。。
また来た道を戻りプーシキン記念絵画館へ行くことにした。12時にプーシキン絵画館に到着。
思っていたよりでかいし、立派な所のようだ。入場料1.5ルーブル、地下でコートと荷物を預けてさて見学である。ここにはなぜか日本人が多かった。いろいろな絵や彫刻があったが、2FであのCBSソニーのレコードのワーグナーの曲のレコードジャケットの絵がここにあったが少々違っていた。
私は絵の前をせっせと歩き適当に見てまわったが1時間くらいかかってしまった。日名子はまた時間をかけてゆっくりみているだろう。13時には荷物を受け取って外へ出る。

ブォルホンカ通りを南下し、エンゲルス記念碑の所でメトロのクロポトキンスカヤから地下鉄に乗る。今日は天気がいいのでレーニン丘へ行ってモスクワ市内を一望しようと決めて4つ目の駅レーニンスキエゴーリでおりた。
いやおりたつもりであったがなぜか近くにモスクワ川が無い。しかしモスクワ大学らしきものは見えた。この辺でウロウロさまよってしまい、なんだか話しによるとここはレーニンスキエゴーリの1つ先の駅らしいのだ。
しかたなくまたメトロに乗り1つ目でおりてみるが、ここがスポルチヴナヤであり、レーニンスキエゴーリに行けない。レーニンスキエゴーリという駅はないのか?
しかたなくスボルチヴナヤでおりてしまったので、ノボデビッチ修道院へ行くことにした。途中、肉を焼いている所があった。シシカバブーのおばけみたいなもので帰りに寄ることにしよう。
ノヴォデビッチ修道院に到着して、前で地球の歩き方を読むとどうも今日はお休み(ニェーラボーティェッド)らしい。が入ってみる。
中でロシア人に聞いてみるとやはりやっていないらしいが墓は見ることができるらしい。ゴーゴリやフルシチョフの墓を探したが結局どれなんだかよく分からずに出てくる。~15時。
またスポルチヴナヤへ帰ってきて先ほどのシシカバブーを食べる。1.1ルーブル。肉は硬いがうまかった。これが昼飯である。
ここからメトロに乗って3つ目のクロポトキンスカヤで再びおりてクロポトキンスカヤ通りを南下し、プーシキン博物館とトルストイ博物館を目指す。すいぶん歩いたのだがどうも見当たらない。
歩いている人に「グジェー トルストイ」とロシア語で聞いたら、この人は英語が話せた。ちょうど私はトルストイ博物館の前にいたらしい。トルストイ博物館に入る(15:30~16:00)。
地下へ行ってコートと荷物を預けて変な靴を履き見学する。トルストイの写真ばっかりである。出口のところに南無妙法蓮華経の日本語があったのでおばちゃんに、「エタ・ヤポンスキー・イズィーク」というと、どうも日本のお坊さんが平和行進したときのものらしい。
次にプーシキン博物館へ行く。雪が激しくなってきた。中に入るとここのおばさんが変な女の人を連れてきて私にフランス語で話しかけてきた。私はフランス人ではない!
ここは火曜日は休館らしい。失敗した。またエンゲルスの所へ戻ってきてクロポトキンスカヤからマルクサへ行きホテルに戻ってくる。
16:30にはホテルに到着。1Fでペプシを1杯飲む。25コペイカ。ここの女の人はニコニコしていてよろしい。
ノヴォデビッチ修道院
ゴーゴリ、チェーホフ、マヤコフスキー、スタニスラフスキーの墓がある。
フルシチョフの墓もあるらしいが発見できなかった。

部屋に戻ってきて手紙を5通ほど書いて風呂につかる。(湯をためてしまった)19時には日名子氏が帰ってきた。
彼はプーシキン絵画館に15時過ぎまでいて本のベリョースカへ行ったそうだ。本屋でおつりをマルクでもらったらしく、ジャラジャラ持っている。
まだ20時前なので3Fのレストランへ行こうとするが断られてしまう。1Fにおりてくると日本人2人と会う。
1人の女の人はハバロフスクで見かけた人で卒業旅行らしい。我々がまだイルクーツクとモスクワしか行っていないのに彼女はタシケント、サマルカンド、キエフ、レニングラードとまわってきたらしい。
彼らと食事をどうしようかと相談する。結局隣のナショナルホテルのレストランに行こうとするがここもダメ。また戻ってきて地下の外貨レストランであるレーベンプロイに入るが何にも食べるものが無い。
私はイクラとステーキを食べたが日名子は頼んだコーラも来なくて何も食べなかった。21時過ぎまでかかって、レストランを出て彼らは16Fのバーへ行った。
我々は1Fのバーでビールを買おうとするが、無くて16Fへ行け!と言われ、16Fへ行く。ここでまた彼らと会った。
この男の人は今日寝台列車でレニングラードへ行ってしまうらしい。ここでビールを2本とサンドイッチを買って部屋に戻ってくる。私はビールを飲んでさっさと寝てしまった。
(補足)
ホテルに戻ってきて洗濯をしたがあまりきれいにならないのでやめた。